ジュネヴァの誕生・歴史|カクテルのお酒・スピリッツ編

世界4大スピリッツの中でも特に人気のある「 ジン 」。

カクテルのレシピを見ても、特に数が多いのが「 ジンベース 」。 カクテルの王様と言われている「マティーニ 」もジンベースです。他にもショートカクテルで代表的なカクテルに「 ギムレット 」があります。 ロングカクテルでは「 ジントニック 」・「 シンガポール・スリング 」などが有名です。

ジンの原型となる「 ジュネヴァ 」は現在のオランダ・ベルギーで誕生しました。 最初薬用酒としてこの世に生まれたジェネヴァは、ジェニパーベリーの良い香りが人気の原因となり、オランダ国民に深く浸透します。 その後イギリスに持ち込まれたジンは、イギリス国内でも人気を博し、18世紀には歴史上最高のジン消費量を記録し、それと同時にアルコール中毒や犯罪をも増加させ、社会問題にまで発展してしまいます。

19世紀に入ると、連続式蒸留器の開発により、それまでの雑味を砂糖や大量のボタニカルで隠す必要がなくなり、クリーンで上質なジンが製造可能となります。現在のドライ・ジンの製法はこの時に確立します。

そしてジンは海を渡り、アメリカへと伝わると、やはりそこでも人気を得て、それまでとは違いカクテルベースとして使用されるようになり、世界中で飲まれるようになりました。

これらが「 ジンはオランダで生まれ、イギリスが育み、アメリカが輝かせた 」という言葉が生まれた原型です。

それではジンの原型であるジュネヴァはどのように生まれ、どのように定着していったのか? その経緯をご紹介いたします。

※ ドライ・ジンの誕生・歴史は ⇒ コチラ

ジュネヴァの原型最古の記録

ジャイコブ・ファン・マーラント

13世紀のブルージュ近郊( 現在のベルギー )で生まれまた「 ジャイコブ・ファン・マーラント 」という作家がいました。 彼はブルージュ近郊で生まれたということと、作家または詩人であったこと、13世紀に存在していたこと以外全て不明です。そのジャイコブの作品に、ワインとジェニパーベリーを組み合わせたものが記載されています、おそらくこれが歴史上最古のジュネヴァの原型となったものの記録です。 よってこの頃からジュネヴァに近いものの存在があったという事になります。

13世紀~14世紀のオランダ、ベルギー、ルクセンブルクの地方( 特にブルージュ・現ベルギー )では、薬に蒸留技術を使用していました。 薬の研究者達はハーブやスパイスに注目し、それらを使用した薬用酒を製造開発していました。 当時身近で手に入るジェニパーベリーはこれらによく使われ、特に胃腸の薬として使われていたようです。

ペストの大流行

ペストによって死屍累々となった街を描いたヨーロッパの絵画

14世紀の中頃、歴史的パンデミックがヨーロッパを襲います、ペスト大流行です。 ペストは皮膚が黒くなって死んでいくという特徴から、別名「 黒死病 」と恐れられ、ヨーロッパの人口1/3が亡くなるという事態になります。 この頃何の力でそうなったのか全く分からない人々は、様々な原因を上げ、それらを実行していきます。特定の個人に責任を押し付け殺害する「 魔女狩り 」が行われたり、特定の民族に責任を押し付け、虐殺するといった異常事態がヨーロッパの各地で起きます。 その中で蒸留業は蒸留酒による薬用酒に力を入れます。 しかし蒸留酒は、ペストの薬用酒としてではなく、酔って気分を楽にするといった役割にしかなりませんでした。その酔いを求める人が急増し、蒸留酒は薬用酒としてではなく、嗜好品として消費量が大幅に増えていきました。

15世紀後半から貿易の中心地がブルージュからドイツのアントウェルペンへと移行し、それに応じて研究者達も移動していきました。 そこで1500年中頃にジュネヴァのレシピを残しています。この土地で製造されているジュネヴァは、風邪や感染症、動物からの毒などにも効果があったと記され、薬用酒としての目的で造らていました。

ジュネヴァの誕生・最古の記録

ジュネヴァの初めて製造した人物、誕生は現在ハッキリとはわかっていません。 一般的に知られているジュネヴァを初めて製造した人物は、オランダのライデン大学医学部教授である「 フランシスクス・シルヴィウス 」博士( 上記写真 )となっていて、ジェニパーベリーとその他の薬草を使い、蒸留酒をつくったという記録が残っています。 ただ、3点ほどシルヴィウス博士が初のジュネヴァ製造者ではない明確な点が 3点ほどあります。

  1. シルヴィウス博士の記録には「 ジュネヴァ 」という記載がないこと。
  2. シルヴィウス博士が生まれる( 1614年生まれ )よりも前にジュネヴァのレシピが存在していたこと。
  3. シルヴィウス博士がうまれる前にはすでにジュネヴァに酒税をかけていた記録があること。

という事から、シルヴィウス博士が初ではないと思われます。 ただシルヴィウス博士がジュネヴァの存在を大きく発展させた功労者であることは間違いありません。ジュネヴァは、おそらく13世紀中頃、フランドル地方( 現ベルギーとフランスの国境を跨いだ地域 )から始まったのではないかということ以外は謎に包まれたままです。

イギリスへの輸出と、ベルギー生産禁止令

80年戦争・スペインのガレー船に攻撃を仕掛けるオランダ船

17世紀のヨーロッパは、国内反乱、ヨーロッパ全土を巻き込む宗教戦争、隣国同士の戦争をきっかけに他の国が参加する戦争などが日常化した時代でした、17世紀の100年の間に戦争がなかった時期はわずか4年であり、まさに激動の時代と言えます。 そんな中1601年フランドル地方( 現ベルギーとフランスの国境を跨いだ地域 )では蒸留酒の生産禁止令がでます。 戦争による貿易制限、生産減少で穀物が貴重なものとなり、蒸留酒で使うはずの穀物を食料に回すためというのが禁止理由です。 そうなるとフランドル地方の蒸留者達は職を失い、オランダ、フランス、ドイツに移住することを余儀なくされることになりました。

ジュネヴァの蒸留者達は、移住すると共に蒸留技術も各国に持ち込み、その技術はヨーロッパ全中に広がっていきます。 その中でもオランダは、元々力を持っていた貿易能力を発揮し、ジュネヴァを世界各国に広めたのです( この頃にイギリスへジュネヴァが伝わりました )。 他にもフランスへ移住した蒸留者達は、コニャック地方で蒸留を広め、この頃にブランデーのコニャックが誕生したのです。

1648年の30年戦争が終結した頃には、蒸留者の移住は無くなっていました。

ジュネヴァの光の国と影の国

ジュネヴァを生んだ国オランダとベルギーの明暗 その 1

1502年に描かれたカンティーノ平面天球図

15世紀~17世紀前半、時は大航海時代。 ジュネヴァの世界定着にこの時代は最も良いタイミングの時代と言えます。長い時間をかけて航海をし、様々な土地に行くため、薬用酒として効用があったジュネヴァは必需品となります。そのため各国でジュネヴァは消費され、生産量も大幅に上がって行きました。 蒸留酒が生産禁止になってしまったフランドル地方と、オランダ、ベルギー北部とは対照的になっていきました。

19世紀産業革命に入ると、蒸留界に革新的な発明品が生まれます。 「 連続式蒸留器 」です。 その連続式蒸留器のおかげで蒸留技術は大幅に向上し、ジュネヴァの生産量はさらに伸びていきます。

ジュネヴァの新しい原料

産業革命で輸入や輸出が頻繁に行われるようになると、ヨーロッパはアメリカから輸入してきたトウモロコシに目を付けます。 ジュネヴァを生産する穀物をより安いトウモロコシで行うようになり、香りは無いものの、香りはかなり劣りますが、これまでより安価での生産ができるため、トウモロコシ原料のジュネヴァの生産量も増えていきました。こうして古くからの原料、製法で生産されたジュネヴァを「 オールド・ジュネヴァ 」、輸入したニュートラル・スピリッツや、原料をトウモロコシに変えたものを「 ヤング・ジュネヴァ 」と区別して呼ぶようになりました。

ヤング・ジュネヴァは、穀物や製法が安価で済むといった理由と、戦争中であっても生産が可能でなため、根強く定着していきました。

ジュネヴァを生んだ国オランダとベルギーの明暗 その 2

第一次世界大戦の引き金になったサラエボ事件

1914年、サラエボ事件が勃発、それを引き金に第一次世界大戦が始まります。 ここで中立国を保ってきたベルギーは、隣国ドイツに攻め込まれます。 侵攻を止めることができなかったベルギーは様々なものをドイツに奪われてしまいます。 その奪われたものの中には銅の蒸留器も含まれています。 さらに近年ヨーロッパ中で問題となっていたアルコール依存症を撲滅させるため、1919年から蒸留酒の販売を禁止してしまいます。 ここでもジュネヴァを生産、進化を止められてしまいました。 その頃オランダは、イギリスとアメリカに大量のジュネヴァを輸出しており、さらに大きな発展を遂げ、ジュネヴァ=オランダ・ベルギーではなく、ジュネヴァ=オランダという風に定着していったのです。

1985年にベルギーはようやく禁止令がなくなり、ジュネヴァの生産、販売を行えるようになります。現在でも生産は行われ、少しずつ海外への輸出も進められています。

ジュネヴァの失脚とドライ・ジンの台頭

アメリカ禁酒法・強制捜査により、密造酒を廃棄している様

1700年前半、イギリスは北米に10以上もの植民地を形成していました。 この植民地には自国で爆発的な消費量を誇っているジンではなく、ジュネヴァが輸出され広まっていたとされています。イギリス本国にもジュネヴァは輸出してはいましたが、イギリス国内で「 ジン 」の蒸留、消費が爆発的に増えていたため( 狂気のジン時代 )ジュネヴァの入る余地はありませんでした。

ジュネヴァはイギリスではなく、アメリカで輝きます。 1800年前後、アメリカ合衆国という新しい国ができ、お酒も今までの飲み方ではなく、カクテルのレシピや技術が発展していきます。 その中心にいたのはブランデー、ウィスキー、ラムと並んでジュネヴァでした。

アメリカではどんどんジュネヴァの消費が増えていき、イギリスの輸出量の約5倍ほどだったと言います。

アメリカで存在感を増していたジュネヴァに一変する出来事が起きます。 アメリカ合衆国憲法修正第18条下において施行された、お酒の製造、販売などを禁止した法律、「 禁酒法 」です。

禁酒法が始まると、お酒の製造、輸入、輸出、販売を禁止したため、ジュネヴァだけではなく他のお酒もは行く先を失います。 そんな中民衆がこっそり自分でつくるために注目したのが「 ジン 」でした。 ジンはウィスキーやブランデーのように熟成の必要がなく、ニュートラルスピリッツを用意し、ジェニパーベリー、ハーブ、スパイスなどを自分で漬け込み、手軽に作れるジンを飲むようになりました。

1933年にアメリカ禁酒法は解除されました。 ウィスキー、ブランデー、ワイン、ラムはまた民衆たちに飲まれるようになりましたが、ジュネヴァは以前のように飲まれたりカクテルに使われることはありませんでした。 禁酒法時代に飲んでいたジンがそのまま残り、時代も辛口志向だったため、「 ドライ・ジン 」がそのままジュネヴァの後を継ぐ形で飲まれるようになりました。

感想・まとめ

現在ではジュネヴァ黄金期のような生産量はありませんが、品質をより良質なものにし、シャンパン、テキーラと並び、オランダとベルギーの一部の地域しか生産できない AOC「 現地呼称制度 」となって今も飲まれています。

ジンの原型となったジュネヴァ、ドライ・ジンを知っててジュネヴァを知らないという方は多いと思います。 しかしジュネヴァには現地呼称を名乗るほど特別な風味や味わいがあります。 いつものジン・トニックのジンをジュネヴァに変えると同じジンなのに全然違うカクテルに変わります。 その違いを楽しむのも良いかと思います。

この機会にジュネヴァを知っていただければ幸いです。

※ ドライ・ジンの誕生・歴史は ⇒ コチラ